私について
自分を一言で説明してと言われたら、私は迷わず「普通の人」と答えます。
私にとっての「普通の人」とは、「可もなく不可もなくどこにでもいそうな人」という意味の普通の人ではありません。
私にとっての「普通の人」は、 母に刷り込まれた「普通の人」です。
私の母は、私のやることなすことに、「普通はこうだ」とくり返し、私の言動を縛ってきました。
いつしか私にとって、普通の人とは「母親に否定されない、母親の期待に応えられる人」になっていました。 私の中には母の刷り込みが根深く入っています。いまだに、母親基準の思考が発動することがあります。
また、私の深いところの信念(自分の言動の中心となる考え方)に、
「そのままの自分には価値がない」という思考があります。
一方で、 家族や友人、周囲の人から、「そのままの私で受け入れてもらいたい」という願望があります。
自分で自分のことを「価値がない」と思っているから、
人から価値がないような扱いや言動をされると
いよいよ本当に「私には価値がない」と思ってしまい、とても苦しくなります。
「そのままの私で受け入れられたい」という願望は、
そのままの私で母に愛されたかった私の願望、執着が根底にあります。
また、「そのままの自分には価値がない」という思いは、欠乏感となり、
「私は相手にとってプラスの価値やプラスの影響を与える存在でありたい」という思いを生じさせました。
私の存在や相手への働きかけが相手にプラスの影響を与えていることが感じられれば、私には存在価値があると思えるからです。
そして、私にプラスの価値やプラスの影響力があれば、もっと母に愛されるかもという期待もあります。
そう、根底にあるのは母への執着。
母への執着は母を求める幼児的な欲求であり、母に愛されなかった憎しみでもあります。
母は高齢出産で私を産みました。父は事業を経営していて忙しく、さらに、私には年子の姉がいました。近くに頼れる親族もいなかったため、母の負担は大きく、幼少期に私は母から構ってもらえませんでした。
幼少期の両親とのやりとりから、私は「そのままの自分には価値がない」と思い込み、
価値のない自分が母から見捨てられないように、母に否定されないこと、母の期待に応えられるよう生きてきました。
そうして、私は、自分ではない歪な自分を作り上げていきました。
結果、自分のやりたいことは諦め、自分の思いは見ないふり、
生きづらさと苦悩を感じつつもそれを母や他の人に認めらることで埋め合わせをしていました。
一方で、私は自分の生きづらさに対処すべく、さまざまなカウンセリングや心理療法を試しました。
そして、株式会社インサイトカウンセリング代表の大嶋信頼氏の著書「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法」に出会いました。
読み進めていくと、「これ、わたしのことだ」と思う箇所ばかりで、本がマーカーだらけになりました。
その後、大嶋氏のFAP療法を受け、自分でもFAP療法(初級・上級)を学びました。
はじめて大嶋氏の面接を受けた際、「今までよく病気にならずに生きてこられたね」と言われました。
そこで、私は「普通ではない自分の生き方」に思いあたりました。
「普通」にこだわってきたのは私が普通じゃないからだという気づき。
また、始めてFAP療法を受けた際、 私の口から、
「私、お母さんのことをずっと可哀想だと思ってきたんだ。」という言葉が出てきました。
母は私が小五の時に胃がんになり、家で血を吐く母を目にしました。
入院中の母は、いつもの怖い母ではなく衰弱しきった様子で、 衰弱しきった母に何もしてあげられない自分の無力感を感じました。
私は当時、無力感と母を失うかもしれない不安でいっぱいでした。
小五の時の不安や無力な私が私の中に心の傷として残り、 母を悲しませたくない思い、母を可哀想そうな人にしたくない思いが生じました。
私は、母の期待に応えられる「普通の人」になることを重視し、 全く自分の人生を生きてこなかったことに気がつきました。
そこから、私は、自分を掘り下げる、内省などの自分と向き合う作業をはじめました。
すると、私の中にはいろんな自分がいること気がつきました。
怖がりな自分、すぐに不安になる自分、子供っぽい自分、無力感でいっぱいな自分。
怒りや悲しみなどのネガティブな感情やネガティブな思考が出るたびに、「今、どんなことで怒りを感じたんだろう」と掘り下げ、自分の思いや信念、心の傷に向き合うようになりました。
そして、この作業は、be clear 私が私にむきあい、私を知り、私を理解していくことだと思いました。
自分のことを幾度も幾度も掘り下げ、
自分の思いや信念を知っても知っても、苦しいことはあります。
ですが、自分の思いや信念を知らずに苦しむのとは違います。
それは、苦しみとの距離感が違うからです。
苦しみと一体となるか苦しみと距離をとり向き合う、この違いです。
自分の思いや信念を知ると、自分を責めることが少なくなります。
私は「どんなことがあっても自分を責めない人」になりたいと思っています。
どんなことがあっても、自分を責めずにいられると自分ではないものになろうとしなくなります。 それが、自分として生きるということです。
自分自身として生きられるようになると、自分を最大限いかした生き方ができるようになっていきます。
そんな生き方を目指してみませんか?